2020 年全国硕士研究生招生考试 203 日语真题
Directions: 次の文章を読んで、1~20の問いに答えなさい。答えは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものを1つ選びなさい。(1点×20=20点)
私たち人間は、誰ひとりとして幸福になりたい、幸福でありたい、という願いをいだかない人はないであろう。おれは幸福(1)ほしくないという人は、すでに生きることを投げてしまっている場合が多いのである。(2)人間が幸福になるということは、どういうことなのであろうか。病気で(3)人にとっては、一日も早く健康になることが、幸福になることかもしれない。家がなくて困っている人にとっては、早く自分の住宅ができることが、幸福なのかもしれない。幸福とは、そうした具体的な生活の問題に結びついている事柄なのであって、そういうことを外にして、(4)立派な幸福論が書かれても、それはまったく抽象的な理論ということになるかもしれない。しかし、幸福ということ(5)、ひとりひとりの生活の、相対的な事柄でさえないのだとしたら、「幸福への道」というような文章を書くこと自体が、まったく無意味になってしまうであろう。私が幸福だと思っていることが、(6)他人にとってはそれほど切実な幸福を意味しないかもしれないからであしかしまた私は、幸福というものを、そういうふうに私たち(7)が、ばらばらに追求することのなかにこそ、実は、私たちの不幸があるのではないかと考える。例えば、病気という一つの事柄について考えてみても、実際私たちは、病気になったら、生活が真っ暗になってしまう。だからいつも病気になったときの不幸を気にしながら、毎日を不安の中(8)過ごされなければならない。自分以外には、自分を保証して(9)ものがないからである。そこに私は問題があるのだと思う。私たちは、自分の幸福や不幸を、自分だけで考えたり、求めたりするのでなく、互いに他者が生きる(10)に責任を持ち合うような生活体をつくり出してゆくのでなければならないと思う。私はそれを幸福の社会的条件として考えるのである。人間の幸福を、社会的連帯のなかで考え求めてゆくことである。それは決して空想でもなければ夢想でもない。具体的に言うなら、社会保障の実現と確立ということである。すでに私たちの国でも、国民年金の形で、老人や生活力を失った母親の保障がなされるところ(11)たどり着いたのであるから、私たちは、それをさらに強力に推し進め、少なくとも、学校を卒業して働く場所のないような不幸や、病気になったらたちまち困ってしまうような不幸を、社会連帯のなかで解決してゆくような実践をしてゆかなければならない。
Directions: 次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40の問いに答えなさい。答えは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものを1つ選びなさい。(2点×20=40点)
敬語は日本語特有であり、日本人の繊細な心性の反映であると説明されることが多い。しかし、それが事実であるとしたら、日本語とよく似た敬語システムをもつコレア語(朝鮮半島の言語)を話す人たちも、日本人と基本的に共通する心性の持ち主でなければならない。もし、そのことを認めたくないなら、二つの言語の敬語システムは、外面的に類似していても全同ではなく、その微妙な違いが両民族
の心性の大きな違いとして発現していると強弁せざるをえなくなるはずである。そういうことが問題にならないのは、東洋の諸言語が外国語から無意識に除外されているからである。日本語を客観的にとらえるために、四つの常識的な事柄を確認しておきたい。すなわち、①世界の諸言語は多種多様であり、どの言語も固有の体系を具えているから、部分的な類似や相違を取り上げて、日本語と特定の言語との特徴を対比したりすべきではないこと。(ア)、②日本語対世界の諸言語という対比は意味をなさないこと。また、③英語が非日本語型言語の典型などではありえないこと。そして、④学校英語/受験英語が、生きた英語の姿ではないことである。ヨーロッパ語/英米語などという用語を平然と使用している日本語論があったら眉につばをつけた(提高警惕)ほうがよい。言語に関する基礎的知識を具えていれば、ヨーロッパの諸言語を一括して論じたりするはずはないし、南北アメリカ大陸やアメリカ合衆国で話されている諸言語を一括してアメリカの言語とよぶことは意味をなさず、欧米語/英米語などという概念が成り立つはずはないからである。「日本語と外国語」などという大胆すぎる書名には警戒が必要である。言語の優劣を比較する基準があるとしたら、それは、どちらがより正確に、そして、より効果的に運用できるかである。その場合の正確さには、繊細なニュアンスを繊細なままに伝達できるかどうかも含まれる。前述の観点から査定するなら、どの言語の運用効率も同じであって、優劣の差はない。それぞれの言語は、伝達媒体として十全に機能しているから、その社会の人たちにとって使いにくい不完全な言語は存在しない。この場合の社会とは同一の言語共同体を意味している。東京出身者以外にとって共通語が使いにくいのは当然である。定義しだいで未開社会がありうるとしても、未開言語は地球上のどこにも存在しない。平安時代の日本語は平安時代の社会に適応していたし、現代日本語は現代の日本社会に適応している。日本語は、長い歴史を通じて進歩も退歩もしていない。
Directions: 次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40の問いに答えなさい。答えは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものを1つ選びなさい。(2点×20=40点)
トルストイが人間が自然をどんなに虐げ、踏み躙ろうと、春はやはり春だと言っているが、極端な言い方をすれば、緑の木の葉一枚も見られぬ石畳の中に生活をしても、四季によって強さをかえる太陽の存在を意識するのが、すでに自然を感じることであろう。熱帯の砂漠や寒帯の氷原に住む人のことは知らないが、少なくも温帯の四季の変化の中で暮らす者は、この大きな自然のリズムをすべての生活と思想の基礎とするはずである。農業は我々の生活を一年のリズムに結びつけた決定的な文明の階段だろうが、もう少し象徴的に考えれば、太陽から生まれた生物である僕らの一生もまた開花の春、実りと落の秋、盛んな生育の夏、すべてが枯れはてる冬などに分けられるだろう。自然は僕らの外にある観賞の対象ではなく、僕らの内にあるもので、僕らにとって幸福とは自分の存在がこの内なる自然に一致することも考えられる。僕らが自然の美に接した時、心を動かされるのも、僕らにとって単にそれが外界でなく、いわば内面の象徴であることを、無意識の親和感として感じるからかもしれない。昔の人は、恐らく西洋でも東洋でも、人間を一つの小宇宙と考え、それと大宇宙との照応関係を、すべて思索のもととしたので、宇宙の空間が精神に満ちていると同様に、人間の内面もまた宇宙の空間に照応することを、自明のことと言じていた。この二つをはっきり区別し、人間の精神と空間の延長、要するに内面と外界とははっきり性質の異なった別物と考え、前者にとって後者はあくまで認識の対象にほかならない、としたのが近代人の思想の根底であろう。自然との連帯と照応を打ち切り、この見るものと見られるものとの対立で、観察者の能力を無限と言じたところに、近代人の自惚れがあったのではないだろうか。自然の征服が、結果として自然からの逸脱になったことが明らかになった現代に、このような自然科学の錯覚を持ち続ける人は少ないだろうが、この考えの基礎になっている、自然と精神の分離という思想は、まだ根深く残っていると思われる。しかし、太陽や月が我々人間のために存在するのだというような考えはともかくとして少なくも地球上の生物、特に数億年の進化発展をとげた劇木や動物を、僕らの生命の仲間と考えるのは決して不自然ではないだろう。彼らの生命のリズムと僕らのそれとは、きっとどこか深いところでつながっているので、だから彼らは時々僕らに呼びかけるのである。四季の環は一年で完了するが、その環がまた60か70 まわれば、僕らの生の環も完了する、そう考えると四季の変化もまた別種の趣きをおびて僕らの目に映る。
Directions: 次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40の問いに答えなさい。答えは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものを1つ選びなさい。(2点×20=40点)
生老病死をなぜかみな嫌がります。できれば考えたくない。そこでどうするかというと、例えば人間が生まれるのも特別なことだから、病院へ行ってくれというのです。そうして、お産は現在ほとんど病院で行われています。生老病死の最後の死ぬところですが、これも都会ではもう90%、いや99%の人が病院で亡くなります。私の母は自宅で死にましたが、大半の人々は病院で死にます。このように死ぬ場所が病院に移ったのはここ25年の傾向で、急速にそうなりました。では、自宅で亡くなることと、病院で亡くなることの違いは何か。これは、我々が普通に暮らしている日常の中に、死がなくなってしまったということなのです。だから、死が特別なことになりました。そして特別なことは特別な場所で起こることになったのです。そんな現代は、よくよく考えてみると、大変な異常事態なのです。生老病死というのは、人の本来の姿です。こっちが先で、何千年何万年も続いてきた間違いのないことなのです。都市よりも文明よりも何よりも先に生老病死がありました。だから私はこれを「自然」と呼ぶのです。人の一生は好きも嫌いもなく時期経過とともに変化していきます。それが自然の姿なのだと私は思います。なのに今は自然つまり本来の姿であるほうが異常になってしまいました。この上なく大切な未来を大切にしていない典型的な例をあげてみます。私は95年3月に大学をやめました。正式には94年9月の教授会でやめることが決まりました。教授会のあと同僚の病院の先生が来られて、「先生、4月からどうなさいますか」と話されるのです。「3月でおやめになるそうですね」「やめます」「4月からどうされるのですか」。これは、勤めはどうするのですかという質問です。私は「私は学生の時から大学の医学部しか行ったことがないので、やめたら自分がどんな気分になるかわかりません」と申し上げました。「やめてから先のことはやめてから考えます」と。するといきなり「そんなことで、よく不安になりませんな」と言うのです。思わず「先生も何かの病気でいつかお亡くなりになるはずですが、いつ何の病気でお亡くなりになるか教えてください」と言い返してしまいました。「そんなこと、わかるわけないでしょう」と言うから、「それでよく不安になりませんな」と申し上げました。ここではっきりわかることがあります。特に大学のお医者さんです。大学病院では患者さんがよく亡くなるので、人が死ぬということが、自分の仕事の中にちゃんと入っています。ところがそういうお医者さんが、自分が死ぬということに現実感を持っていない。自分が病気になって死ぬことよりは、勤めをやめたりやめなかったりする、そのことのほうがよほど重要なことだと思っているのです。
Directions: 次の文章の[一][二][三][四]を読んで、21~40の問いに答えなさい。答えは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものを1つ選びなさい。(2点×20=40点)
入院して二、三日は、まるでお祭り騒ぎであった。夜になると十円玉をたくさん持って廊下の公衆電話から今日一日の報告をするのである。毎日の食事の心配をしないで暮らすのがいかに極楽であるか。献立がいかに老人の好みと栄養を考えてつくられているか。看護婦さんがいかに行き届いてやさしいか。テレビのレポーターにも負けぬ生き生きとした報告であった。無理をして自分を励ましているところがあった。三日目あたりから、報告は急激に威勢が悪く、時間も短くなってきた。四日目からはその電話もなくなった。追い込みにかかっていた仕事に区切りをつけ、私が一週間目に見舞ったとき、母はひとまわりも小さくなった顔で、ベッドに座っていた。この日は、遠くに住んでいる妹もまじえて、姉弟四人の顔がそろったのだが、つらいのは帰り際であった。私が弟の腕時計に目を走らせ、「ではそろそろ」と言おうかなとためらっていると、一瞬早く母が先手を打つ(先)のである。「さあ、お母さんも横にならなくちゃ。」晴れやかな声で言うと思いきりよく立ち上がり、見舞いにもらった花や果物の分配を始める。押し問答の末、結局、私たちは持ってきた見舞いの包みより大きい包みを持たされて追っ払われるのであった。「見舞いの来ない患者もいるのに、こうやってぞろぞろ来られたんじゃお母さんきまりが悪いから当分は来ないでおくれ。」と演説しながら、一番小さな母が四人の先頭に立って廊下を歩いてゆく。「(ア)」くどいほど念を押し、エレベーターに私たちを押し込むと、ドアの閉まり際に、「ありがとうございました。」
今までのぞんざいな口調とは別人のように改まって、深々としたお辞儀をするのである。寝巻の上に妹の手編みの肩掛けをかけて、白くなった頭を下げる母の姿は、更にもうひとまわり小さく見えた。私は、「開」のボタンを押してもう一度声をかけたいという衝動を辛うじて抑えた。四人の姉弟は黙って七階から一階まで降りていった。弟がこもった声で、ポツンと言った。「たまんねえ。」末の妹が「いつもこうなのよ」という。妹は毎日世話に通い、弟は三日に一度ずつのぞいているが、母は必ずエレベーターまで送ってきて、こうやって頭を下げる。しかも弟に言わせると、「人数によって角度が違う」というのである。「今日は全員そろってたから一番丁寧だったよ。」お母さんらしいやと私たちは大笑いしながら、速ぐんでいる(含泪)お互いの顔を見ないようにして駐車場へ歩いていった。
Directions: 次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。(3点×5=15点)
のついた部分を中国語に訳しなさい。(3点✕5= 15点)
都市の近代化にしたがって、北京の古い建築様式・四合院が、だんだんと姿を消しています。明清の時代に誕生し、当時は、庶民たちの住まいとして広く一般的に見られた四合院は、いま、都心の一部地区でしか見られないようになっています。またわずかに保存された四合院も風化によって、また住民の不注意によって壊れることもあり、昔のまま残っているものは、数少なくなっています。故宮が皇帝のものだとすれば、四合院は庶民の住宅です。かつて、故宮と並んで北京の建築物の代表格となっていた四合院に、様々な「飾り」があることはご存知でしょうか。まず、
四合院の入り口に、「門故」と呼ばれる敷居(1機)のようなものがあります。日本では、木製のものが多いようですが、北京の四合院は木だけでなく、石製のものもあります。また、昔は
馬車が主な乗り物でしたら、その出入りに便利なように、一部の四合院には、「門」を問に固定せず、移動可能なものにしているところもあります。そして、
人々の考えでは、この「門」は内と外を区切る境界線というだけでなく、妖怪などを寄せ付けないための「縁起物(吉祥物)」にもなっています。ですから、門を出る時、「門坎」を踏んではいけません。またいで越えるのです。これも日本と同じです。また、お客さんを送るときの礼儀として、お客さんを「門」の外まで見送ります。次、おなじみの「門トン(「墩)」です。これは門扉の転回軸を支える土台で、大理石で作ったものが多いです。形は、その多くが獅子、虎、太鼓、箱などに彫刻されています。
昔、獅子や虎は「野獣の王」とされ、昔の人は、それらの動物で家を守ることを考え、「門トン」を獅子や虎の形に作ったそうです。また、太鼓や箱の形をしたものもあり、その上に家紋のようなものが刻まれています。これは四合院の主人の社会的地位を表すもので、縁起のいいものとされてきました。門をくぐって見えるのは、庭の風景ではなく、目隠しの塀・「影壁」です。いろいろな塑像がはめ込まれた塀は、魔よけのほか、庭の中を直接見られるのを避けるため、置かれたものですが、今では、鬼ごっこなど、子供たちの遊び道具となってしまいました。
昔、四合院を建てる時、これらの飾り物は欠けてはならないものとされていました。一つ一つには、それぞれの由来がありますが、「吉を祈り、福を求める」という人々の願いは共通しています。昔の北京の民俗風習が体現される四合院。中国の伝統ある文化を理解するには、四合院を見物しながら、その飾りに目を向けてみるのもいいかもしれません。
Directions: 次の指示にしたがって、450~500字の作文を書きなさい。
若者として、社会の発展、その歩みとともに成長するには、自分がすべきことは何か。それについて作文を書きなさい。
- 自分でテーマをつけること
- 「だ・である」体で書くこと
- 漢字を使うべきところは漢字を使うこと