2022 年全国硕士研究生招生考试 203 日语真题
Directions: 次の文章を読んで、1~20の問いに答えなさい。答えは選択肢[A][B][C][D]からもっとも適切なものを1つ選びなさい。(1点×20=20点)
どこかへ旅行がしてみたくなる。しかし別にどこという決まった当てがない。そういう時に旅行案内記の類をあけて見ると、あるいは海浜、あるいは温泉といったように、行くべき所がありすぎるほどある。そこでまず(1)温泉なら温泉と決めて、温泉の部を少し詳しく見ていくと、各温泉の周囲の名所旧跡などのだいたいがざっと分かる。しかしもう少し詳しく具体的な事が知りたくなって、今度(2)温泉専門の案内書を捜し出して読んでみる。そうするとまずぼんやりとおおよその見当がついて来るが、いくら詳細な案内記を丁寧に読んでみたところで、結局本当のところは自分で行って見なければ分かる(3)はない。もしもそれが分かるようならば、うちで書物だけ読んで(4)わざわざ出かける必要はないと言ってもいい。次には念のためにいろいろの人の話を聞いてみても、人(5)かなり言うことが違っていて、だれを信じていいか分からなくなってしまう。それでさんざんに(6)最後には、つまりいい加減に、賽でも投げると同じような偶然な機縁によって目的の地をどうにか決めるほかはない。こういうやり方は言わば正統派のやり方であると言われる。これは多くの人々(7)最も安全な方法であって、こうすればめったに大きな失望やとんでもない違算を生ずる心配が少ない。そうして主要な名所旧跡をうっかり見落とす気遣いもない。しかしこれと違ったやり方もないではない。例えば旅行がしたくなると同時に最初から賽をふって行く所を決めてしまう。あるいは偶然に読んだ詩か小説かの中である感興に打たれたような場所に決めてしまう。そうして案内記などにはまったくかまわず飛び出していく。そうして自分の足と目(8)自由に気の向くままに歩き回り、見て回る。この方法はとかくいろいろな失策や困難を引き起こしやすい。またいわゆる名所旧跡などのすぐ前を通りながら知らずに見逃してしまったりするのはありがちなことである。これは危険の多い非正統派のやり方である。これはうっかり一般の人に勧めることのでき(9)やり方である。しかし前の安全な方法にも短所はある。読んだ案内書や聞いた人の話が、いつまでも頭の中に巣をつくっていて、それが自分の目を隠し(10)を覆う。それがためにせっかくわざわざ出かけて来た自分自
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電話がかかってくる。こちらが出ると、たいてい、「電話で誠に失礼ですが・・・・・・」と相手は言う。そういうのが礼儀らしい。しかし、電話でものを頼むのは、そんなに失礼なことであろうか。それでは、何のために電話があるのか分からない。私は自分の結婚式の仲人をお願いするのも電話で頼んだ。大学者のK先生である。すると、それを聞いた友人は、K先生に対して失礼ではないかというのである。私に言わせれば、学者というような方の時間を少しでも無駄にしたくなかった。訪ねてゆけば、当然お茶くらい出されるであろう。電話というものがあれば、そのほうが手っ取り早い、かつ合理的ではないか。某出版社はとりわけ礼儀正しく、原稿の依頼に編集者が来訪してくる。これはまあよい。そのあと、締切日ははるか先なのに、たびたび様子を伺いに来る。もともと、昔の紳士がいけなかったらしい。彼らは、突然来訪されて、様子などを聞かれ、それではというので原稿を書く。ちっとも激励に来ないと、自尊心を傷つけられたりしたらしい。まるで子供である。私は、いったん引き受けた以上、締切ギリギリになったりしたことは、この六年間に一度しかない。いつも、締切日ははるか前に原稿はできている。そういう見当がつかない限り、初めから引き受けない。このほうが、よほど近代的で立派ではないか。というより、本当は気が弱いのである。電話なら、相手を見ないで済む。人間がやってきて、その依頼を断らなければならない時、とても嫌な気がする。神経が滅茶苦茶になる。小さな中学生などが突然やってきて、講演などを依頼され、断るのに必死になって帰ってもらった後、長いこと私の胸は痛む。そしてどうしてもこう思う。なぜわざわざ苦労して私の家を探したりしてくれるか。編集者が電話をかけてきて、ちょっとお会いしたいという。このような「ちょっと」が怖い。本当は電話で用が足りるのである。近ごろは、「電話で誠に失礼ですが•・・・・・」という文句を聞いても腹が立ってくる。その間にさっさと用件を言ったらよい。この世には、みんな細かい形ばかりの礼儀法より大切なことがたくさんある。とにかく、私は生きた人間の実物より電話のほうが好きだが、更に本音を吐けば、電話というものもうるさいものだから、二片の紙片の手紙のほうが好きである。
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畳という平面が日本人の生活の場なのであった。そこに座るもよし、寝そべるもよし、勝手な姿勢をとってよかった。押入れから布団を出せば畳の部屋は寝室になり、チャブ台を出せば食堂にもなった。布団やチャブ台は、確かに家具には違いないが、いずれもきわめて軽便で、使わない時には適当にしまっておけばよかった。要するに日本の室内は、何も置いてない状態が常態なのであって、必要に応じて、小道具で、どのようにでもその空間の用途を自在に演出することができたのである。そういう文化的伝統の上で見ると、耐久消費財は、まったく日本人にとって馴染みの薄いものであった、と言わざるを得ない。それらはいずれもかさばったものであって、布団のように、ちょいとたたんでしまっておく、というわけにはいかない性質のものだったのだ。いわゆる「家具」にしたってそうだ。応接セットとか、ベッドとか、食卓とかが続々と室内に開入してくると、これは伝統的空間処理法ではどうにも片付かないのである。西洋風の「家具」たちは、室内にデンと腰をすえて、いっこうに動こうとしない。前に論じたように「家具」という言葉にあたる西洋の言葉は、語源的に「動かすことのできるもの」ということを意味した。家屋が動かすことのできない生活空間であるのに対して、椅子や机は自由に動かすことのできる住宅付帯設備、というわけだ。しかし、実用上、「家具」は、動かない。日本のように、小部屋の多い住宅の中では、とりわけ動きにくい。2DKの団地などで、食卓だのソファだのを置くと、皮肉なことに、それを使う人間の自由な運動さえもいちじるしく妨害される。だから、豪華な家具が小住宅に入れられたところでは、人間がカニの横ばい式に家具と家具の間を辛うじて通り抜ける、といった風景が展開されたりするのであった。大正時代の日本人は、その点で賢明であった。かれらは、西洋風の家具が、やたらに空間を占領する性質をもっている、という事実を直観的に見抜いて、これらの家具を独立の「応接間」というところに集中管理した。応接セット、ピアノ、そして洋式デスクーそういったものを、すべて(ア)に収容して、普段に使用する畳の部屋に家具が侵入することを防いだのである。応接間という形式には、わたしなどは、大いに疑問を感じるところもあり、かつて、そうした事情を批判したこともあったけれど、和式・洋式をピシャリと分離して、家具を日本的空間から排除したというのは、みごとな知恵であったと思う。
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近ごろ写真による日本の近代史がいろいろ刊行されます。明治維新が写真術発明以後の事件であったために、日本の近代はその出発の当初から、激しい変化の様相の比較的正確な資料に恵まれているわけですが、そういう写真を見て、いつも不思議に感じるのは、これらのごく近い過去の記録が何かひどく疎遠な、まるで別の国の出来事のような印象しか与えてくれぬことです。無論明治、大正のころの写真術が、現代のように、人間の生態を動的に捉えることができなかったという事情が働いているでしょう。しかしたとえ技術は幼稚であっても、レンズの被写体に対する無遠慮なリアリズムは昔も今も変わることはないのに、ぼくらが現代の外国に対してより、自国の過去に対して、ずっと疎遠な感じを抱くのは、恐らくその対象の性格そのものからきています。人々の生活や思考に空間の障害がほとんどなくなり、地球上のどの地点にも、同じ人間が同じような生活をしている事実を実感できるのは、現代の特色なのかもしれませんが、それと同時に少なくともぼくら日本人にとって時間の障壁はかつてないほど厚くなっているのです。二、三代前の自分たちの生活が、単に異様な風俗として知的好奇心の対象にしかならないという事態は、あるいは現代のぼくらの生活の所産かもしれません。問題はそれが人間として自然な感情であるかということです。現代人の生活が世界を通じてひとつのものになりつつあるのは、事実でしょう。政治や経済の領域で、ちょうど張り詰めた弦の一端をたたくとその振動がすぐ他の端に伝わるように、世界のどんな片隅の出来事もぼくらの生活にすぐ響くだけでなく、生活の水準と様式とは次第に平均化し、一様化しています。世界のどこに行っても、大都会に住む者は、みな、同じような勤め人であり、商人であって、彼らの服装や生活の喜びや悩みはほとんど共通のものです。美術や文学の鋭敏な相互影響は、現代人の直面する問題が根本は同じであるところからきているのでしょう。(ア)、このように「世界」がぼくらの生活の場として現実に成立したことは、決してぼくらが民族として辿ってきた過去を忘れるべき時がきたことを意味しないはずです。反対に「世界」や「人類」が単なる概念でなく、現実に共同の生活を始めた時こそ、民族の自覚が他との生活を通じた接触によって、深められるべきなのです。
事実、民族の意識は、今日の広大な地域で歴史を動かす力として働いています。このことは、世界の一体化と矛盾するようですが、実はその自然な反面を成しているので、ちょうど個人の場合でも、社会と接触する度合いが深まるにつれて個性の自覚がはっきりしてくるように、外国との交渉が日常の現実を形作るに従って、民族の自覚は他との摩擦によって高まらざるを得ないのです。
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長らく日本語のことに関わって生きてきたのだから、その由来・経過を話してみないかと編集部に言われて迷った。親父がよく、自分のことなぞ人様の前で話したりするもんじゃないと言っていた。だが「両国橋から」という題をもらって、書いてみる気になった。その訳はいずれ先にいって分るようになるだろうから、まず子供のころのことを思いかえしてみる。私は男の子として父親に注目していたし、心の奥の方では父親への抵抗の気持を根深く持っていた。そこで親父のことを少し書くことから始めたい。親父は夕食のすんだ後、奥の八量の座敷に行き、南画の軸を取り出して床の間にかけ、じっと独りで見入っていることがよくあった。私の家は東京の深川で、明治時代から砂糖問屋を営み、小売りもする
ような商人の家だった。祖母はある時、小さい私に、「お客様がうちのお砂糖でないと甘くないと言ったものだ」と語ったことがある。それは不思議な話に思われた。親父は別に学歴もない人だったのだが、生れつきということか南画、あるいは書を好んでいた。親父のあとについて行って奥の間でただ並んで「掛け軸」を見ているだけの、まだまだ幼い息子の私に、親父は「どうだ」と声をかけたりした。絵は分らないながら同意が求められていることだけは分って「いいね」などと返事をした。こうした静かなひとときが実は親父の一番仕合わせな時であっただろう。親父は一度見た絵や字の話になると、晩年になってからも、それは何年に何処で見たと明確に覚えている人だった。そして、切迫した資金のやりくりのために借金をしに出かけて、さいわいに借りられると、帰りがけには遠回りしてでも上野の博物館に寄って絵だの字だのを見てくるような人だった。家業に不熱心であったからか、それとも跡取り息子を教育するつもりでもあったのか。お得意様への新年の年賀回りを、小学校に入ったばかりの私にさせた。正月の二日と三日、番頭(学相)を従えて一軒ごとに取引先を回る。挨拶の言葉は祖母から口移しで教えられた「キュートージはいろいろとお世話さまに相成り、本年も相変りませず」。それだけ言ってお辞儀をする。ついて来る番頭は唐草模様のついた緑色の大きな風呂敷に、手拭いを入れた行を包んで首にかけている。お得意様の取引額に応じてその手拭いを一本、二本、三本と置く。近くから始めて遠くは洲崎の小料理屋さんまで毎年回った。キュートージとは何のことか分っていなかったが、多分それは「新春」に対する「旧冬時」または「旧冬中」だっただろう。しかし、私はお店のことは好きでなかった。
Directions: 次の文章の下線のついた部分を中国語に訳しなさい。(3点×5=15点)
のついた部分を中国語に訳しなさい。(3点✕5=15点)
「ゆとり教育」(松教育)は、子供たちの勉強の負担を減らし、心の余裕を確保して、より自由な発想を育もうという考え方に立って実施されてきた。例えば、総合的な学習の時間として、子供たちが課外活動や地域活動に参加できる時間を設けたり、年間の総授業時間数を減らし、週5日制を導入したりした。しかしその後、国際学力調査などで日本の子供たちの学力低下が顕著になった。2012年4月から完全実施される新学習指導要領では「脱ゆとり」を掲げ、各教科の授業時間数の約1割が増加、思考力・判断力・表現力の育成や、基礎的・基本的な知識・技能の習得の項目が改めて明記された。
「自分で考える力」を育てていくという「ゆとり教育」の目指した理念は決して悪くなかったと思う。問題があったとすれば、その理念が教職員や保護者にいたるまで十分に浸透しなかったことと、その理念を実現するための具体的施策が、教育現場でうまく機能しなかったことではないか。
しかし、授業内容を自由に設計できる総合的な学習の時間をうまく機能させるには、想像以上のエネルギーを必要とした。また教員の個人的な資質や能力に影響されることが大きく、結果的に学校ごとの取り組みに大きな差が生じたのである。ゆとり教育が掲げた理想とそれを行う現場にはかなりのギャップが生じ、学校現場にしてみれば、教職員に負担が大きく、現場にフィットしないものが丸投げされてきた感が否めない。(中略)しかし、企業の幹部を含むリーダーたちの迷走ぶりはどうだろう。
それは一部の指導者だけの問題ではなく、これからの社会がどうあるべきか、多くの国民にそうしたことを自分のこととして考える力が、教育の中で身に付いてこなかったからではないだろうか。
「ゆとり教育」が国の理想と教育現場とのギャップによって機能しなかったように、新指導要領(新大)の下でも、理想と現場の落差があってはならない。同じ状況を繰り返さないためにも、子どもたちがこれからの社会で自立していくにはどんな力が必要なのか、為政者や現場を含め「自分で考える力」が求められている。
Directions: 次の指示にしたがって、450字~500字の作文を書きなさい。
もし、もう一度大学受験の機会があるとすれば、あなたは自分の好きな専攻を選ぶか、それとも将来的に就職に有利な専攻を選ぶか。自分の考えを作文に書きなさい。
- 自分でテーマをつけること
- 「だ・である」体で書くこと
- 漢字を使うべきところは漢字を使うこと